みつばち社Reports 東京町工場ものづくりのワ Go!!Go!!町工場 第1回居酒屋座談会編 こんなに披露して大丈夫!?「あなたの知らない町工場の世界」正真正銘のぶっちゃけです 2/3 みつばち社Reports 東京町工場ものづくりのワ Go!!Go!!町工場 第1回居酒屋座談会編 こんなに披露して大丈夫!?「あなたの知らない町工場の世界」正真正銘のぶっちゃけです 2/3 みつばち社Reports 東京町工場ものづくりのワ Go!!Go!!町工場 第1回居酒屋座談会編 こんなに披露して大丈夫!?「あなたの知らない町工場の世界」正真正銘のぶっちゃけです 2/3

アカレンジャーとアオレンジャー アカレンジャーとアオレンジャー

小林:
ちょっと個性的な先代が多いようですが、では、皆さんの憧れる経営者像は、どんなでしょう。具体的に、憧れの人物はいますか?
西川社長:
ベタだけど、松下幸之助。
石岡社長:
同じです。松下幸之助です。
小林:
そこは普通ですね。
今野社長:
僕は藤沢武夫です。本田宗一郎と二人三脚でホンダを育てた副社長。
西川社長:
出た。また今野さんはほら、カッコいいこと言うでしょ。じゃあ言いますけど、俺が一番なりたいのはアオレンジャーですよ。
一同:
アオレンジャー!?
Mr.宮本:
(きょとん→世代が違う)
西川社長:
そう。アオレンジャーはさ、一番手のアカレンジャーとは違うわけじゃない?
小林:
はぁ…。サブ的な、でも頭がキレるとか、そういうことですか?
西川社長:
そうそう。
小林:
参謀タイプ。
今野社長:
そうゆうことなら、僕が藤沢武夫を挙げた理由も同じですよ。本田宗一郎はカリスマだけど、藤沢武夫なくしては、会社があのようになりえなかったはずなんです。自分の役回りと重ねても、そうした名参謀に憧れるわけです。本田宗一郎にはなれっこなくても、藤沢武夫を目指したいなぁと。
西川社長:
ダメ!今野さんにはアカレンジャーポジションやってもらわないと!
小林:
アカレンジャーとアオレンジャー、それにさなぎマンですか…。
今野社長:
いや、僕はアカレンジャーじゃないでしょ。でも西川さんがアオレンジャーっていうのも…。
西川社長:
あぁっ!またキレンジャーって言いたいんでしょ!
小林:
それはきっと、みんなが思っているような。

町工場は、「理屈じゃない」!? 町工場は、「理屈じゃない」!?

小林:
さて、このへんで戦隊ものからはちょっと離れて、町工場に話を戻します。西川さんは、はからずも新卒から家業を、という流れでしたが、ほかのみなさんは、規模の大きな企業を経てから町工場ですね。ギャップに苦労することはありませんでしたか。
今野社長:
それはもう。なにがどうなって成り立ってるのか、儲かってるかどうかすらわかんなかったですから。
西川社長:
ありがち!
石岡社長:
(うなずく)
小林:
教えてもらえないってことですか?
今野社長:
いや、管理されてないの(笑)。※2だから決算にならないと誰にもわからない。雲の中をメーターのない飛行機を飛ばしてるような感じ。その飛行機、アラート機能もついてなくて、しかしどうやら下降している様子…という(笑)。
小林:
恐ろしい感じが伝わりましたが(笑)、下降してたんですか。
今野社長:
僕が入社してから、徐々に売り上げが落ちていって。「疫病神」って言われました。なんの戦略もなくやってきておいてひどいですよね。一応、大手企業の管理部門で10年やって、中小企業診断士の資格も取ったのですが、誰も言うこと聞いてくれなかった。父親なんか、「中小ってのはそんなもんじゃない。理屈じゃないんだ」とか、わけのわかんないこと言うしさ。入社して3年、一番最初にやった“大改革”が「売り上げを見えるようにする」ことですよ、すごいでしょ。
小林:
あはは……。
西川社長:
俺は職人に拙い手元をのぞかれて、「へーえ。大卒ってのはそんなふうにつくるんだぁ」なんて言われました。※3
小林:
ええぇ…いじめ?((((;゚Д゚))))
Mr.宮本:
そうそう、わかります。
小林:
え?宮本さんはでも、一回り以上年代が違いますよね。
Mr.宮本:
いやいや、変わってないところは変わってないです。僕は32歳で、一度父と叔父の経営する町工場に入ったのですが、なにかをつくるとき、ノートに書いてるだけで、「なにやってるんだ」って言われましたよ。
小林:
宮本さんは東工大の金属工学科で学び、工学修士という、ものづくり町工場の輝くエース的な…。
Mr.宮本:
勉強してきたことはそうなんですが、高卒でやってる職人は現場で手を動かしてきた経験が違いますからね。「頭ではできないぞ、動け!体で覚えろ」って、考え無しかよ!って思うとこも確かにあるんですけど、正しい部分もあるんです。
一同:
(納得)
石岡社長:
あと、若い人がいないことにも驚きました※4。僕は28歳で、祖父から叔父の代になった会社に入ったのですが、前任者は60代の後半でした。最初は使いっ走りみたいなことをしていて、あるとき「あそこの会社に行って、おねえさんからこれ受け取ってきて」と言いつかったんです。前職のときと違って周りに「おねえさん」なんていない環境だったから、足取りも軽く、ワクワクして向かいました。ところが着いても「おねえさん」なんてどこにも見当たらない。…20歳以上も上の方でした。今の年齢になってみると、「おねえさん」と呼ぶのもわからないでもないですけど(笑)。
一同:
西川社長:
俺なんか新卒で社会人経験もなんにもないところにきて、周りは高齢者ばっかり。しかも「社長の息子がレールの上に乗っかってやってきた」って目で見られる。完全アウェーよ。仕事なんて誰も教えてくれないの。「見て覚えろ」もない。「邪魔だから見るな」(笑)。
今野社長:
えーっ、見てもダメなの?
西川社長:
だって全員が敵だもの。ただ俺は、典型的な門前の小僧でさ、小学校のときから1個50銭とかで手伝ってたからね。簡単なアッセンブルから始めて、中学では機械もさわってた。職人の世界ってのはそんなに甘くないから、だからっていきなり新卒で使い物になるようなレベルじゃぜんぜんないけど、一通りは知ってたというか。
今野社長:
町工場の英才教育だ。やっぱすごいわ、西川さん。そうやって、自分の体でおぼえてきて、なんでもできるようになったんだもんね。
小林:
もともと歴史をやりたかったのに、立派な町工場の社長さんになられたんですね。
一同:
(深くうなずく)
※2:現在、少なくともこの3社では、もちろんきちんと管理されています。「東京町工場 ものづくりのワ」 では、共同で最先端のITの活用も進めています。
※3:現在、少なくともこの3社では、若手の教育に力を入れています。「東京町工場 ものづくりのワ」 としても、職人の技術交流などを通して、人材育成に努めています。
※4:現在、少なくともこの3社には、20~30代の若手も複数、籍を置いています。

日本のものづくりの未来は明るいか! 日本のものづくりの未来は明るいか!

小林:
さて、皆さん、本当にいろんな苦労をされながら、会社と、高い技術のものづくりを支えていらしたと思います。そんな日本のものづくり…最近は向かい風も厳しいと思いますが、未来をどのように見ていますか。
西川社長:
このままじゃダメになると思ってます。だから、ワークショップを通して、子どもたちに教える活動をしてるの。ものづくりの楽しさと同時に、難しさも伝えるようにしています。楽しさが、少し上回るくらいでね。
石岡社長:
僕も、厳しいとは思っていますけれど、若い社員の姿を見ていると希望を感じます。彼らには、最初から危機的な時代を生きているからこその強さがあるのかもしれません。まだまだ、輝く道はあると思います。
今野社長:
日本のものづくりの基盤は、そうは言ってもまだ強いはずです。もう20年、製造業がずっとダメだと言われてきたのは、ものづくりの“もの”の部分の変化に、アジャストしきれなかった部分が大きいのではないかと思うのです。なにをつくるかが時代とともに変わってきている中で、そこを的確に捉えることさえすれば、きっと未来は明るいと思います。
西川社長:
個人的な夢を言うと、役にも立たないけどワクワクするようなものをつくりたいな。変な乗り物とかさ。
今野社長:
最初は遊び心だけで作ったものが、いつの間にか役に立つものとして世の中に求められるっていうのもあると思うな。
石岡社長:
そうですよね。つくる過程で役立つものへのアイデアが生まれた、っていうのもあるかもしれないですしね。
小林:
どうなることかと思いましたけど、最後はいいお話で良かったです!